母が他界した。
私にシャネルズを、ラッツ&スターを教えてくれた、母。
今年、娘のピアノの発表会で“め組のひと”を連弾する予定でいる私は、ときどきリビングでひとりピアノの練習をしていた。
母は、私や娘がピアノを弾いている姿を見るのが好きだった。音楽自体も好きだった。
娘がピアノの練習をしていると、その背後に立って、
「聴いたことある曲やな」
「その曲、〇〇か?」
と、声をかけることもあった母だが、私が“め組のひと”を練習していていても、母はちょっと離れたところに立ってこちらを眺めているだけで、声をかけてくることはなかった。
どちらかというとシャネルズ時代の曲ばかり聴いていた母だし、
(さすがに低音パートだけでは、何の曲かわからないんだな)
そう思っていたある日、夕食のテーブルで不意に母が言った。
「め組のひと、弾けるようになったか?」
「え……? うん、まあ」
思わずうろたえる。
そうか。
確認するまでもなく、母はわかっていたのだ。
ああ、今年は“め組のひと”を二人で弾くんだな、と。
しかし、母は、私と娘が“め組のひと”を合わせているのを一度も聴くことがないまま、逝ってしまった。
ある程度の覚悟はできていたので、さほど悲しくはない。
ただ、私と娘の“め組のひと”を聴かせてやれなかったことだけが、心残りだ。
そして、母が他界して以来、私はときどき密かな恐怖を感じる。
ラッツ&スターのメンバーも、あと10年もすれば亡くなった私の母と同じ年である。
10年は長いようで、短い。
年を取れば取るほど、短くなる。
実際、桑野さんは今も闘病しているし、他のメンバーにもいつ何が起こるかわからない。
このままメンバーの誰かひとりでも欠けてしまったら。
ラッツ&スターの再集結を見られないまま、久保木さんの姿を見ることもないまま、二度とメンバー全員で集まることができなくなってしまったら。
いや、そもそも私がラッツ&スターのメンバーより長生きするという保証もないんだけど。
そんなことを考えながら、私は今日も“め組のひと”を弾く。