2023年冬、やっぱり久保木さんが大好き

日々の用事と仕事に追われて、なかなかこのブログも更新できずにいますが、あの日から半年経つ今でも、私の心の中は久保木さん一色です。

って、「もう飽きたのか」と思われないように、ときどきは言っとかないとね。


飽きるどころか、動画はおろか、声を聞くだけで、写真を見るだけで、キュンキュンを通り越して胸がギュンギュンしてしまう。

そのまま抜け出せなくなって、仕事も何も手につかなくなるので、最近はやむを得ず久保木さん断ちしてます。

何度でも言うけど、めちゃくちゃ好き。

久保木博之さんへのラブレター

[目次]

久保木博之さんへのラブレター #01

久保木博之さんへのラブレター #02

久保木博之さんへのラブレター #03

久保木博之さんへのラブレター #04

久保木博之さんへのラブレター #05

久保木博之さんへのラブレター #06

久保木博之さんへのラブレター #07

久保木博之さんへのラブレター #08

久保木博之さんへのラブレター #09

久保木博之さんへのラブレター #10

久保木博之さんへのラブレター #11

久保木博之さんへのラブレター #12

久保木博之さんへのラブレター #12

「久保木さんには普通の人でいてほしい」などと殊勝なことを言いつつ、こうして大々的に公開ラブレターを書くという行為には、我ながら矛盾を感じずにいられない。

「好き」という感情は、つくづく矛盾と理不尽の総結集なのだなと思う。


あまりにも「好き」の感情が大きくなりすぎて、壺に向かって叫ぶ代わりに、文字にしてみることで今の気持ちを整理できるかと思ったが、どうやらそんな簡単なことではないらしい。

だったら、今はいっそ、思い切りこの感情に溺れてみようと思う。


正直な話をすると、こうして専用のブログを立ち上げてまで久保木さんへの想いを綴ろうと思ったのは、やはりこの気持ちを久保木さん本人に知ってほしかったから。

私の目に映る久保木さんが、どれだけ素敵な人なのか。
それを、久保木さん本人に伝えたかったから。


数年後。十数年後でもいい。
いつか久保木さんが、このラブレターを見つけてくれますように。

そして、この国の片隅の人口10万人にも満たない田舎町に、少女時代からしつこくラッツ&スターにあこがれ続けるファンがいること。久保木さんに恋焦がれる一人の女子(?)がいることを、知ってほしい。


久保木さん。
すごく、すごく好きです。大好きです。
私は今、少女のように久保木さんに夢中になっています。

多分、これまで40年近くもの間ラッツ&スターのファンでいたように、私はこれから死ぬまで久保木さんを想い続けるのだろうと思います。

そんな私が久保木さんに対して願うのは、ただ「幸せでいてほしい」ということ。

どうか、これからも普通の人として、普通の幸せを。
そして、これは誰か一人の努力で叶うことではないけれど、願わくはラッツ&スターの再々集結を。

もう一度、27年前の再集結のときのような笑顔を、ファンの前で見せてください。


そんな矛盾だらけの気持ちと、永遠に叶うことのないこの想いを、ラッツ&スターのトップテナー久保木博之さんへ。

最初で最後の、ファンレターに代えて。

久保木博之さんへのラブレター #11

芸能界というのは、かなり特殊な世界だと思う。

一度はスターダムへのし上がっても、一生スターでいられる人というのは多くはない。
人より秀でた才能があり、しかも、よほど太い神経の持ち主でなければ生きていけない世界だろう。多分だけど。

私は正直、そんな厳しい世界に大切な人を置いておきたいとは思わない。
もし、自分の子どもが芸能界を目指すと言えば、全力で反対するだろう。


そういう意味では、久保木さんが芸能界を去ったのは正解だと思っている。

もちろん、「せめて、佐藤さんのように業界に残ってくれていたら……」と思うこともある。
そうすれば、メディアを通して顔を見ることくらいはできただろう。

だって、顔見たいんだもん。そりゃ、見たいよ。好きなんだもん。
今だって、本当は見たくて見たくてたまらない。
60代の久保木さんが、どんなふうに喋って、動いて、笑うのか。

だけど、その反面、いさぎよく芸能界を去り、芸能界以外に居場所をつくることのできた久保木さんのことを、心からすごいと思っている。

一度は頂点に立ち、良いことも悪いことも、酸いも甘いも経験し、それでも芸能界以外に生きていく場所を見つけられず、芸能界の片隅にすがって生きていく業界人も多い中、一から再スタートして自分の居場所をつくり、そこで普通の人として生きていけるというのは、間違いなくひとつの才能だ。

スターとしての過去を背負いながら普通の人になるというのは、なかなかしんどい選択だと思うけど。


私は、久保木さんにはこのまま一般人をまっとうし、安寧な日々を送ってほしいと願っている。

けれど、それでもラッツの再々集結だけは諦めきれない。
今もまだ、心のどこかで期待している。

そして、もしもその日が来るのであれば、そのときだけは久保木さんも一般人を離れ、ラッツ&スターのフロントマンとして再びステージに立ってほしい。

私は、久保木さんのいないラッツ&スターなど見たくはないし、見るつもりもない。
そして、久保木さん以外の誰かが欠けたラッツ&スターも見たくない。

できることなら全盛期の10人で、もう一度ラッツ&スターをやってほしいと思う。

私が小・中学生の頃、大切に飾っていたシャネルズのジャケットには、必ず10人のメンバーが写っていた。
10人で歌っている姿、演奏している姿は見たことなくても、私のなかのラッツはやっぱり、その10人なのだ。
ほかには代えがたい、宝物なのだ。


と言いつつ、これだけ望んで望んで、心の底から願って願って、願い続けて、もしもラッツの再々集結が実現したとしても、きっと今の私は久保木さんにしか目がいかない。

メンバーの皆さん、ごめんなさい。
来るべきその日のために、先に謝罪しておきます。

久保木博之さんへのラブレター #10

直滑降で恋に落ちて以来、私はまた毎日のようにラッツの曲を聴いている。
シャネルズ時代の曲も、ラッツ&スターになってからの曲も、ラッツの曲はすべて空で歌えるほど聴き込んでいる。

ただ、もう昔のような純粋な気持ちでラッツの曲を聴くことができなくなっていることに、ふとした瞬間、気付いてしまう。

どうしても、久保木さんの声を探してしまう。
高音パートにばかり、意識が向いてしまうのだ。

そのことに、長年ラッツ&スターのファンを自認していた私は、どうしても罪悪感を持たずにいられない。

果たして、ラッツ&スターの再々集結はあるのだろうか。

仮に再々集結があったとしても、一般人として20年も30年も生きてきた久保木さんが、また改めてラッツ&スターをやろうと思うだろうか。

ラッツ&スターが解散していないことは、私にとって希望だった。
同じように、久保木さんがラッツ&スターを脱退していないことに、私はどうしても希望を持ってしまう。

だけど、おそらくそのハードルはかなり高い。

もう一度、歌って踊るラッツ&スターを見たい。
もう一度、久保木さんに会いたい。
古い映像なんかではなく、今の久保木博之さんに。


今、私は毎日のように、シャネルズやラッツ&スターの動画を見て泣いている。
久保木さんが素敵すぎて。
とにかく、久保木さんが好きすぎて。
好きで好きでたまらない。
ひたすらラッツにあこがれていた頃とは、また違う感情に溺れている。
35年前、コンサートの終わりに感じた切なさとは、また違うやるせなさに胸を痛めている。

胸をかきむしりたくなるような、このやり切れない想いを。
私はいったい、どうすればよいのだろうか。

こんな年になって、また誰かに恋して泣くことになるなんて。
こんなにも、自分の感情をコントロールできないなんて。
ハタチやそこいらの女の子じゃあるまいし。

しかも、相手は芸能人である。

……いや、違うな。久保木さんはもう、一般人か。

だけど、だからこそ余計に切ないのかもしれない。
今の久保木さんは、私にとって芸能人よりも遠い存在だ。
ひと目姿を見ることもできなければ、今どこで何をしているのかを知る術もないのだから。


久保木さんは、今、どこでどうしているのでしょうか?

久保木博之さんへのラブレター #09

そして、再集結のときの久保木さん。

ちょうど40歳に手が届く頃だろうか。顔つきにもダンスにも角がとれたような柔和さがあり、見ているこちらまで頬がゆるんでしまう。

それでもまだ、今の私よりは年下だけど、これくらいの年の差ならばデレデレしても許されるのではなかろうか。

なにより、20代の頃より、30代の頃より、40代の久保木さんがいちばん素敵だと思える自分の良識に、私は心からの拍手を送りたい。


そんな再集結のときの映像を見ていて、ふと気付いたことがある。
その映像だけ、見ていてやたら懐かしく感じるのだ。

懐かしいというか、「私、この久保木さん知ってる」という既視感のようなもの。

実際、20歳のときにテレビにかじりついて見ていた映像なのだから既視感はあって当然なのだが、不思議なことに、ほかのメンバーの姿を見てもそうは感じない。
久保木さんに対してだけ、懐かしさを感じるのだ。

ああ、そうか。

少しずつ、記憶が甦ってくる。


ラッツ&スターの再集結の様子を、テレビの前で正座して見ていた20歳のとき。
思い起こせば、あのときも私は久保木さんばかり見ていたではないか。

今みたいな「久保木さん好き!」という感情があったわけではないが、もともと久保木さんの雰囲気が私の好みに合っていたのだろう。

「久保木さんって、なんかいいな」と感じたこと、録画したビデオを久保木さん見たさに何度も巻き戻していたことが、不意に思い出される。


なんだか、不思議な気分だ。

小学生の頃から、ずっと好きだったラッツ&スター。
誰のファンというわけでもなく、ただラッツ&スターというグループが好きだった。

今までずっと、そのなかのひとりに過ぎなかった久保木さんに、まさか35年という歳月を経て、これほどまでにハマってしまうとは。

もともと細い目を、さらに細めて笑うときの表情が好き。
小柄だけど、すっと伸びた背筋と広い肩回りが男っぽくて。
ちょっとコミカルなキャラクターや、やんちゃくさい雰囲気もたまらない。

完全に沼だ。底なしだ。

正直言うと、私は今、ちょっと混乱している。
久保木さんという人が、私の中であまりにも突然クローズアップされてしまったことで、自分の感情についていけないのだ。

旧知の仲である数十年来の友人に対し、突如として恋愛感情が芽生えるというのはこういう感じなのだろうか。

今、久保木さんは66歳。
初老を過ぎた久保木さんは、どんなおじさんになっているのだろう。

でも、今の久保木さんも、今から10年後の久保木さんも、私はきっと好きだと思う。

久保木博之さんへのラブレター #08

それにしても、久保木さんというのは不思議な人だ。

なにが不思議って、どの動画を見ても少しずつ感じが違うのだ。
髪型なのか、体型なのか。いや、顔立ちまでもがすべて違ってみえる。
すごく可愛い顔をしていることもあれば、妙におじさんっぽく見えるときがあったり。
なにか、ひとつの型に定まらないのだ。

いったい、どれが本当の久保木さんなのか。
そして、どの久保木さんを見ても好きだと思える自分の心情が、また不思議でならない。

恋は盲目って、こういうことをいうんだろうな。


さらに、鈴木さん、田代さん、佐藤さんの3人がデビュー当時から再集結に至るまでほとんど変化を感じないのに対し、久保木さんだけは年代ごとに印象がかなり変わっている。

デビューから間もない全盛期の頃は、まだどことなく少年のような面差しをしている。
童顔だから、ひげ生やしてたのかな。

見た瞬間、

(なにこれ、久保木さんってめちゃくちゃ可愛い)

と、思わず大興奮。

とくに横顔がいい。意外と彫りが深くて、鼻筋もきれい。
その整ったプロフィールでやや上向き加減に歌う久保木さんが、とにかく、すっごく、可愛いのだ。

と思った直後、ふと我に返る。

実際には私の方が20歳下だとしても、この頃の久保木さんは、今の私より20歳以上も若い。
そんな、自分の子とさほど年が変わらない男の子の映像を見ながら、

(久保木さん可愛い、好き)

と、メロメロになっている自分はさすがに気持ち悪く、ちょっと引いてしまう。

一転して、30代の久保木さん。この頃の久保木さんは、なんともいえない男の魅力を醸し出している。
ステージに立つ久保木さんの、表情の1つひとつ、指先から足先の動きの1つひとつ。とにかく、すべてが素敵なのだ。

ある動画など、久保木さんの大人の色気がだだ漏れで、思わず悶絶してしまう。
某フェスティバルの映像なのだが、この動画だけは一日に一度は見ずにいられない。

だけど、

(久保木さんカッコいい……)

と、一瞬でも思ったが最後。
涙腺が一気に崩壊してしまうので、メイクして出かける前とか人前では自重しなければならない。
思い出すことも厳禁である。
この動画が消されたら、私もう生きていけないかも……。

考えてみると、ラッツ&スターが私の住む町でコンサートをしたのは、彼らがちょうど30歳を少し過ぎた頃。
遠目すぎて全体像しかわからなかったけど、こんなにカッコよかったんだな。あのときの久保木さん。
もっとも、小学生の私にはおじさんにしか見えてなかったかもしれないけど。

久保木博之さんへのラブレター #07

鈴木さん、田代さん、桑野さんの3人が動き、喋っている姿は日頃からテレビで見ていたし、彼らがソロやバラエティで活躍していても、本業はラッツ&スターなのだと、私は信じて疑ったことがない。
その本業の姿を、テレビで一度も見たことがなかったにもかかわらず。

だけど、テレビで動いている姿は見たことなくても、彼らの歌声やトランペットの音色はレコードやCDで飽きるほど聴いていたし、顔を黒く塗ったスーツ姿もジャケット写真で散々見ていた。
いまさら驚くことは、なにもない。

(田代さんも桑野さんも、バラエティのときよりずっとカッコいい)
(鈴木さん、ソロで歌ってるときより楽しそうだな)

とは、思ったけど。

だけど、それ以上に私の興味を引いたのは、レコードやCDのジャケットでしか見たことのなかった(いや、コンサートで遠目には見ていたのだが)、残りふたりのフロントマン。

久保木さんと佐藤さんが、シャネルズ時代のジャケット写真とさほど変わらない姿で、ただもう少し(かなり?)大人になった姿でブラウン管の中に現れたとき、私は本気で感動したのだ。


そうか、これが【ラッツ&スター】か。
ラッツ&スターはUMA(未確認生物)じゃなかった。ちゃんと実在する人たちだったのだ。


あれから、さらに20年……いや、30年近くたって、私は今、あのときテレビの前で正座して見ていた映像を、YouTubeで延々リピートしている。

改めて、時代の流れの速さを感じずにはいられない。


YouTubeのサービスが、日本で開始されたのは2007年。

YouTubeを使い始めて間もない頃にも、【シャネルズ】とか【ラッツ&スター】の動画を見て興奮していた記憶がある。

これはすごい。見たことない映像がわんさか出てくる。
というか、ラッツ&スターが歌っている姿なんて、そもそも地元でのコンサートと再集結のときしか見たことないし。
ほとんどが見たことない映像だ。

その日は興奮して寝付けず、一晩中ラッツ&スターの映像を探し続けたのを覚えている。


だけど、あのときよりも今の方が重傷だ。
あのときはラッツ&スターの曲を聴くだけで十分満足していた頃だったので、そこまで映像を深追いすることはしなかった。

ところが、今はもうダメ。
「あの人に似ている気がする」と、久保木さんのところで視線を止めてしまったのが、運の尽き。
脳が、魂が、足の先から頭のてっぺんまで、私のすべてが、久保木さんを欲している。

ひとしきり動画を漁ったあとは、同じ動画を何度も何度もリピートし続ける。
今、私は人生で初めて、依存症の怖さを垣間見ているのかもしれない。

久保木博之さんへのラブレター #06

年を重ねるうち、さすがの私もどっぷりハマった小学生の頃のように、ラッツ&スターの曲ばかりを聴きつづけるということはなくなった。

ひと通り聴き尽くした感はあったし、ときどき思い出したようにCDを引っ張り出しては、聴きたくなった曲を聴くという感じ。

そして、いつからか私は、好きな芸能人とかミュージシャンを聞かれると「サザン」と答えるようになっていた。

嘘ではない。実際、サザンも好きだった。
なんなら、ツイストもゴダイゴもチューリップも好きだった。

そのなかで、もっとも「好き」と公言しやすかったのが、現役で活動しているサザンだったというだけのこと。

(ちょっと新しいところでは、米米クラブにハマッた時期もある)

表面的には「サザンが好きなの」という顔をしていたけれど、親しくなった相手には「本当はラッツ&スターがいちばん好きなの」と打ち明けたりもしていた。

とにかく、ラッツ&スターは別格なのだ。いうなれば、殿堂入り。
好きとか嫌いとかいう範疇を超えて、私にとってラッツ&スターは揺らぐことのない存在だ。


そして、あのコンサートから8年の月日が流れ、私は再びあこがれのUMA(未確認生物)に再会することになる。

その報せが届いたのは、私がすでに高校を卒業し、県外でひとり暮らしをしていた頃だった。

小学生の頃、母からシャネルズのレコードを奪い、母と一緒にラッツ&スターのコンサートを見に行った私は、自分でアルバイトをして、シャネルズやラッツ&スターのCDを買い揃えることができる年齢になっていた。

そんな頃、届いた朗報。


そう。1996年、ラッツ&スター再集結の報せだ。
ラッツのファンにとっては生涯忘れられないであろう、記憶に残る年である。


再集結を知ったとき、私は泣いてしまったかもしれない。あまり覚えてないけど。多分、泣いただろうな。それとも、また発狂したのかな。

再集結したラッツ&スターがテレビに出るときには、私はテレビの真ん前にひとり正座をし、ブラウン管にかじりつくようにして彼らの姿を見守った。

これは夢ではないか。
まさか、こんなふうにブラウン管の向こうで動き、喋り、歌う、ラッツ&スターを見られるなんて。

もちろん、一度はコンサート会場で動くラッツ&スターを見ているわけだが、替え玉が混ざっていてもわからないような遠目で見るのとテレビのアップで見るのとは、また違った感慨深さがあるものだ。

きっとあの時、日本中のあらゆる世代の人たちが、いろいろな思いを胸にラッツ&スターを見ていたに違いない。

デビュー前からシャネルズのファンだった人。
全盛期をリアルタイムで見ていた人。
タレントのマーシー・クワマンしか知らない世代。


では、私は何を見ていたのか。それだけはハッキリ覚えている。久保木さんと佐藤さんだ。

久保木博之さんへのラブレター #05

そんな感じで、ファンとはいっても、私はラッツ&スターのことを何も知らなかった。

知っていたことといえば「この人だけ、いつも大きな蝶ネクタイしてるのよ」という、母から聞かされた久保木さんの情報だけ。
その大きな蝶ネクタイも、懐メロ番組のワンカットで目視確認したが、おじさんがデカい蝶ネクタイをつけている姿が「なんか可愛いな」と思ったのを覚えている。

おじさんなんて言って、ごめんなさい。
当時のラッツ&スターのメンバーはみんな20代の青年だったけど、スーツ着てひげ生やした男の人は、小学生の私にはやっぱりおじさんにしか見えなかった。


だけど、それでもよかった。
おじさんでも全然気にならないほど、私はシャネルズの曲が好きで、何年間もずっと、文字どおり飽きるまでシャネルズを聴きつづけた。

それなのに、リアルな彼らの姿は一度も見たことがない。
私にとってのラッツ&スターは、もはやスターを通り越して、UMA(未確認動物)のような存在だったのだ。


そんなある日のこと。
自宅のリビングでテレビに背を向け座っていると、背後から突如として流れ出す、

「ダイナマーイ!」

というハスキーな声と、聴き慣れたメロディーライン。

首がもげそうな勢いでテレビを振り返り、瞬時にして状況を飲み込んだ私は、次の瞬間、

「お母さんっ!!ラッツが来るっ!!」

と、半ば発狂しながら、台所にいる母に向かって野鳥のような叫び声をあげていた。


確かに、私にとって「ラッツ&スターが解散していない」という事実は、ひとつの希望であった。
解散していないのだから、いつかまたラッツ&スターを見られる日がくるかもしれない。
また、活動を再開する日がくるかもしれない。

そんな、かすかな希望をつねに抱いていた。

しかし、その希望がまさか、

「ラッツ&スターが、私の住む町でコンサートをやる」

という、こんなにも都合のよすぎる形で実現することになろうとは。

なにせ、人口10万人にも満たない田舎町である。
これは夢ではないかと、何度も思った。

コンサートに関する細かな描写は、ここでは割愛する。
しかし、「あこがれ続けたネッシーが琵琶湖を泳いでいるのを目撃した気分」と言えば、その感動と興奮は容易に想像してもらえるであろう。

母が持っていたのはシャネルズ時代のレコードだけだったので、“め組のひと”などラッツ&スターになってからの曲は、そのコンサートで初めてちゃんと聴いたのではなかったか。

コンサート序盤から中盤にかけては、ただただ興奮が止まなかったが、終わりが近くなり“Tシャツに口紅”のイントロが流れる頃には、今度は涙が止まらなくなっていた。

ラッツ&スターが帰ってしまう……。

子どもながらに感じた、あのときの切ない気持ち。今も忘れない。

あこがれ続けた人たちとの出会いと別れに小さな胸を震わせた、ほんのひとときの出来事であった。