久保木博之さんへのラブレター #05

そんな感じで、ファンとはいっても、私はラッツ&スターのことを何も知らなかった。

知っていたことといえば「この人だけ、いつも大きな蝶ネクタイしてるのよ」という、母から聞かされた久保木さんの情報だけ。
その大きな蝶ネクタイも、懐メロ番組のワンカットで目視確認したが、おじさんがデカい蝶ネクタイをつけている姿が「なんか可愛いな」と思ったのを覚えている。

おじさんなんて言って、ごめんなさい。
当時のラッツ&スターのメンバーはみんな20代の青年だったけど、スーツ着てひげ生やした男の人は、小学生の私にはやっぱりおじさんにしか見えなかった。


だけど、それでもよかった。
おじさんでも全然気にならないほど、私はシャネルズの曲が好きで、何年間もずっと、文字どおり飽きるまでシャネルズを聴きつづけた。

それなのに、リアルな彼らの姿は一度も見たことがない。
私にとってのラッツ&スターは、もはやスターを通り越して、UMA(未確認動物)のような存在だったのだ。


そんなある日のこと。
自宅のリビングでテレビに背を向け座っていると、背後から突如として流れ出す、

「ダイナマーイ!」

というハスキーな声と、聴き慣れたメロディーライン。

首がもげそうな勢いでテレビを振り返り、瞬時にして状況を飲み込んだ私は、次の瞬間、

「お母さんっ!!ラッツが来るっ!!」

と、半ば発狂しながら、台所にいる母に向かって野鳥のような叫び声をあげていた。


確かに、私にとって「ラッツ&スターが解散していない」という事実は、ひとつの希望であった。
解散していないのだから、いつかまたラッツ&スターを見られる日がくるかもしれない。
また、活動を再開する日がくるかもしれない。

そんな、かすかな希望をつねに抱いていた。

しかし、その希望がまさか、

「ラッツ&スターが、私の住む町でコンサートをやる」

という、こんなにも都合のよすぎる形で実現することになろうとは。

なにせ、人口10万人にも満たない田舎町である。
これは夢ではないかと、何度も思った。

コンサートに関する細かな描写は、ここでは割愛する。
しかし、「あこがれ続けたネッシーが琵琶湖を泳いでいるのを目撃した気分」と言えば、その感動と興奮は容易に想像してもらえるであろう。

母が持っていたのはシャネルズ時代のレコードだけだったので、“め組のひと”などラッツ&スターになってからの曲は、そのコンサートで初めてちゃんと聴いたのではなかったか。

コンサート序盤から中盤にかけては、ただただ興奮が止まなかったが、終わりが近くなり“Tシャツに口紅”のイントロが流れる頃には、今度は涙が止まらなくなっていた。

ラッツ&スターが帰ってしまう……。

子どもながらに感じた、あのときの切ない気持ち。今も忘れない。

あこがれ続けた人たちとの出会いと別れに小さな胸を震わせた、ほんのひとときの出来事であった。