そんな感じで、ファンとはいっても、私はラッツ&スターのことを何も知らなかった。
知っていたことといえば「この人だけ、いつも大きな蝶ネクタイしてるのよ」という、母から聞かされた久保木さんの情報くらい。
その大きな蝶ネクタイも、懐メロ番組のワンカットで目視確認したが、おじさんがデカい蝶ネクタイをつけている姿が「なんか可愛いな」と思ったのを覚えている。
おじさんなんて言って、ごめんなさい。
当時のラッツ&スターのメンバーはみんな20代の青年だったけど、スーツ着てひげ生やした男の人は、小学生の私にはやっぱりおじさんにしか見えなかった。
だけど、それでもよかった。
おじさんでも全然気にならないほど、私はシャネルズの曲が好きで、何年間もずっと、文字どおり飽きるまでシャネルズを聴きつづけた。
それなのに、リアルな彼らの姿は一度も見たことがない。
私にとってのシャネルズ、そしてラッツ&スターはスターを通り越して、もはやUMA(未確認生物)のような存在だったのだ。
そんなある日のこと。
自宅のリビングでテレビに背を向け座っていると、背後から突如として流れ出す、
「ダイナマーイ!」
というハスキーな声と、聴き慣れたメロディーライン。
首がもげそうな勢いで「ぐるん!」っとテレビを振り返り、瞬時にして状況を飲み込んだ私は、次の瞬間、
「お母さんっ!!ラッツが来るよっ!!」
と、半ば発狂しながら、台所にいる母に向かって野鳥のようなけたたましい叫び声をあげていた。
確かに、私にとって「ラッツ&スターが解散していない」という事実は、ひとつの希望であった。
解散していないのだから、いつかまたラッツ&スターを見られる日がくるかもしれない。
また、活動を再開する日がくるかもしれない。
そんな、かすかな希望をつねに抱いていた。
しかし、その希望がまさか、
「ラッツ&スターが、私の住む町でコンサートをやる」
という、こんなにも都合のよすぎる形で実現することになろうとは。
なにせ、人口10万人にも満たない田舎町である。夢ではないかと、何度も思った。
コンサートに関する細かな描写は、ここでは割愛する。
しかし、「あこがれ続けたネッシーが琵琶湖を泳いでいるのを目撃した気分」と言えば、その感動と興奮は容易に想像してもらえるであろう。
母が持っていたのはシャネルズ時代のレコードだけだったので、“め組のひと”などラッツ&スターになってからの曲は、そのコンサートで初めてちゃんと聴いたのではなかったか。
コンサート序盤から中盤にかけては、ただただ興奮が止まなかったが、終わりが近くなり“Tシャツに口紅”のイントロが流れる頃には、今度は涙が止まらなくなっていた。
ラッツ&スターが帰ってしまう……。
子どもながらに感じた、あのときの切ない気持ち。今も忘れない。
あこがれ続けた人たちとの出会いと別れに小さな胸を震わせた、ほんのひとときの出来事であった。